学力低下――立大文学部卒論廃止 毎日新聞引用

1957年01月09日 (昭32)
 立教大学文学部では来年度から英米文学科と社会学科の卒業論文を、購読あるいは演習に換えて単位がとれるようになる。改正の理由は、(1)新制大学生の学力低下、(2)学生数の増加で卒論指導が不十分なこと、(3)後期二年と就職期がかさなり、専門科目の勉学期間が少なくなったの3点。教授間には「大学でツギハギの論文を書くより、購読でがっちり読書した方がためになる。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院だ」との考えが支配的。卒論廃止は「ますます学力低下をきたし、文学部の自殺行為でもある」との反対意見もある。
 当の学生たちは「学力が低下しているから卒論を書かせても意味がないという考えは危険で、学生はもっと高いものを求めている。学力を高めるには教育課程そのものにも問題があるが、学生ももっと勉学する雰囲気をつくる熱意がなければ……」と複雑な心境。
 なお、青山学院大英文学科が昭和28年度からこの卒論自由選択別を行っているが、昨年度の卒業生360人中、卒論を書いたものは、わずか26人だけだった。
(以上は毎日新聞1・9の記事を「青少年非行・犯罪史資料」が要約したものを引用)
立大文学部長 管円吉氏「新制大学生の学力低下はいたし方ない。とくに語学力が昔にくらべて非常に劣るから、原書を読破して卒論を書く力がない。新制大学はいわばアメリカのカレッジであり、一般教養に重きをおいているのだから、高校に少し毛の生えたくらいのものだ。だから卒論も昔の学士論文とはちがい、レポート程度でしかない。昔の学士はいまの修士コースに当たるのであり本当に勉学に専念する人は大学院にはいって本格的な論文を提出すればよい。そこで大学でツギハギの論文を書くくらいなら、購読でいい本をガッチリと読んだ方が学生のためになる。立大では特にゼミナールに力を入れており、これで十分に実力はつく。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院なのだ。低く扱われたとみる人もあるだろうが、事実はそうなのだ。この点で教授諸氏の頭の切りかえも必要だろう」
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